ノアとぬいぐるみ
 
Myノアとぬいぐるみの出来事
 


2008年11月8日を表示

早速ディズニークリスマス♪

これが今年のディズニークリスマスの袋です

こちらはランドクリスマスファンタジーですね
絵柄カワイイですね



そしてこちらがシーのハーバーサイドクリスマスの絵柄~


11月8日(土)19:10 | トラックバック(0) | コメント(0) | ぬいぐるみの出来事 | 管理

いくら♪

本日の晩ご飯のおかずはいくら~
大量です~

今日は晩酌も出来そうにないのでちょうどいいです
なぜなら息子が密会中みたいなので、後で迎えに行かなければなりませんので・・・



11月8日(土)19:01 | トラックバック(0) | コメント(0) | ぬいぐるみの出来事 | 管理

日本三大火祭

本日、11月8日(土)は我が町で日本三大火祭であります松明あかし が開催されます



日本三大火祭の一つは福島県○○市で今から遡ること414年前〔1589年10月〕伊達政宗に攻め滅ぼされた
○○城城主二階堂氏を弔うのが『 松明あかし 』で毎年11月の第二土曜日に開催されました。
生憎の雨の中、長さ10メートル・胴回り3メートルもある本松明30本に次々と火が放たれます。
燃え上がる火柱は晩秋の夜空を焦さんばかり燃え盛り、会場の五老山は火の海と化します。



【松明あかしの由来】
今から約400年以上も前の天正17年(1589年)6月、伊達政宗は、会津黒川城(若松城)城主芦名氏を滅ぼし、その余勢をかって○城を攻撃しようと、密かに岩瀬地方西部の諸将に密使を遣わしていました。

 このときの○城主は二階堂盛義の後室大乗院で、気丈な女城主であり、しかも政宗の伯母でもありました。 政宗が攻撃した会津黒川城主芦名氏は、また大乗院の嫡子である盛隆が城主をしていたこともあって、快しとしませんでした。

 政宗の計略に怒った二階堂家の家臣や領民たちは10月10日の夜、手に手に松明をともし、町の東の丘(十日山)に集まりました。そこで決死の覚悟で○城を守ることを決議し、城主である大乗院に進言したのでした。

 同年10月26日、伊達政宗は大軍を率いて○を東西に流れる釈迦堂川の北側にある陣場山(現○○??高校)に本陣を構え、釈迦堂川を挟んで合戦の火ぶたが切られたのでした。

 しかし、前々から政宗に内通していた二階堂家重臣の守谷筑後守は、城本丸の風上にあった二階堂家の菩提寺・長禄寺に火を放ったのです。 火はたちまち四方に飛び火し、町中が火の海と化してしまったのです。!城は火炎に包まれ、家臣の大部分は城と運命をともにして悲壮な最期を遂げたのでした。文治5年(1189年)から400年の長きにわたり、南奥羽の雄として権勢を誇った二階堂家、○城も遂に落城してしまいました。 「松明あかし」は、この戦いで戦死した多くの人々の霊を弔うために行われるようになった行事です。

 昔は旧暦の10月10日に行われていましたが、現在は新暦の11月第2土曜日に五老山で行われています。

 この五老山は、天正9年、三春城主・田村清顕方と○城主・二階堂盛義の老臣5人が和睦の交渉をしたことから、五老山と呼ばれるようになったところです。







           









11月8日(土)10:17 | トラックバック(0) | コメント(0) | ぬいぐるみの出来事 | 管理


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